こんにちは。広報の木對です。
最近まで研究調査のためにインドネシアにいたのですが、インドネシアより日本の方が暑いです。日本が赤道に近づいているのかな?って思いました。
さて、本日は大先輩である藤田さんから、Philosophy Openの寄稿文をいただきました。
藤田さんの熱い想いと、私たちのためになる知識、両方が載っている素晴らしいブログです!
日本だけにアツいですね!!!!!!!
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JPDUブログをご覧の皆様
こんにちは。早稲田大学大学院OBの藤田です。
Philosophy Openから一か月ほど経ちましたが、依頼されていた寄稿文を書き上げました。お時間ある時にご覧ください。
<<目次>>
1.開催の背景
2.大会を通じて学んで頂きたいこと
3.モーション解説
4.没モーション集へのリンク
5.おわりに
1.開催の背景
早いもので私はもうディベートを始めて七年目になりました。普段の生活は元より、あまり大会の会場でも人と話すことなく1人で散歩することが多い私ですが、少なくとも私はこれまで【状況に対する価値判断】としてのPrinciple Argumentに対して「プリンシプル的な議論って何?」「ふわっとしてよくわからない」「プリンシプルはどうでもいいからプラをとにかく詰めれば勝ち」「プリンシプルってモラハイのことだよね」などの言説を頻繁に耳にしてきました。そのような言説はPrinciple Argumentに対して真摯な取り組みを示していないばかりか、一部の人たちに肩身の狭い思いをさせていないかという懸念が私にはありました。私にとって、このPhilosophy OpenはPrinciple Argumentに対する理解を深めることによってコミュニティをより包括的なものにするプロジェクトの一環として位置付けられています。ディベーターとして「Principle Argumentを立てられるようになって楽しい!」という感覚を覚えたり、ジャッジから「Principle Argumentがかなり丁寧に立論されていた」というフィードバックをもらえることは非常にディベートをしていて楽しい瞬間です。ジャッジとしてもPrinciple Argumentに関する作法を身につけておきさえすれば、それだけディベートを見ていて感動する瞬間も多くなるものです。素晴らしい議論であると判断できる指標がそれだけ増えるからです。人がディベートに楽しさ・面白さを言い出せば見出すほどにコミュニティへの愛着が増し、次第に多様な人たちがコミュニティに参加してくれることに繋がります。この相互行為のためには、まずPrinciple Argumentについて今一度考えてみることが大事です。「Principleはどうでもいい」という一言がこだまする環境が生む代償は、あなたにとっての感動の契機と包括的なコミュニティの形成の契機なのです。余談ではありますが、私が考案し、今や多くの大会でも取り入れられているAdjudication Test AwardもAdjudication Testがただの作業ではなく、丁寧に取り組めば表彰されるかもしれないという動機付けを提供することでジャッジとして大会に参加するコミットメントの度合いを強めることを期待したものです。
コミュニティーをいかに包括的なものにするか、読者の皆様が一人一人考えてくださることを期待します。コミの皆様へ「お疲れ様です、運営ありがとうございます」などの感謝の言葉を、アドバイスを聞きに来てくれた後輩に一言「よく頑張ってるね」などの激励の言葉を、忙しい合間を縫って練習に来てくれた先輩に「来てくださってありがとうございます」などの労いの言葉をかけるところから始まっていくと思います。ディベートの技術はもちろん重要ですが、人付き合いの次元から、少しずつで良いので、組織をinclusiveに、そしてincludeされたメンバーがinteractすることで組織のpowerに変換していけたらいいですね。
2.大会を通じて学んで頂きたいこと
この節ではPhilosophy Openを通じて、皆様に学んで頂きたい議論構成の技術についてお話しします。強調したい点が1つあり、Phisolophy Openという大会の名前に最大のヒントがあります。
- 議題に書かれた言葉の意味を明確にする
前節では散々「”Principle Argument”にまつわる課題の克服のために大会を開こうとした」と書いてあったのに、主催者として”Priniciple Open”ではなく”Philosophy Open”という大会名をつけたんだな」と思われた方がいらっしゃったら、その方は私の意図を読むのがとても上手です。
さて、直訳すれば、Prinicpleには行動規範/指針という訳語があてられる一方で、Philosophyには哲学という訳語があてられます。私と卓人さんはPrincipleとPhilosophyに違った意味合いを見出し、意図的に大会に”Philosophy Open”という名前をあてました。Philosophy(哲学)はものの考え方として、そしてPrinicipleは考えられた(構成された)行動規範/指針であると理解した上で、ディベーターにはあくまで哲学的に考えてもらおうということを願ってこの大会の名前をつけました。以下で、 「1.議題に書かれた言葉の意味を明確にする」と言う点についてコメントします。
- 言葉の意味を明確にする
大会ではDutyやHappiness, Morally Blameworthy、おまけにSocial Contractなど、「一見するとその意味が明確ではない」概念を意識的に使用しました。このように一見すると意味が明確ではない概念を用いる際、堂々巡りな議論にならないように気をつけてください。実はディベーターの皆さんは堂々巡りな議論を展開してしまっていることが多いのです。
とりわけ、analogyの使い方は気をつけなくてはなりません。例えば、“THBT people of the present generation do not have any duties with regards to unborn people of future generations”という議題で「現状では将来世代のために現行世代は環境に配慮しているので、したがってそれは続けるべきである。」といった主張があったとします。このままでは堂々巡り以外何も議論として生み出していないことに気づくべきです。議題は「現行世代に人々はまだ生まれていない将来世代に対してなんら義務を負わない」というものです。各チームは「ある集団がその他の集団に対して義務を負う条件」について問われていることに気づくべきですが、「現状では将来世代のために現行世代は環境に配慮しているので、したがってそれは続けるべきである。」といった議論が「ある集団がその他の集団に対して義務を負う条件」になるならば、現状の環境への取り組みの背景的な理由づけについて展開する必要があります。この展開がなければ、
ディベーター「将来世代のために環境配慮しているじゃないですか。だから」
ジャッジ「でもなんで環境配慮しなければらないんだろう」
ディベーター「いやでもしてるじゃないですか」
ジャッジ「わかるけど、こっちはなんで環境配慮が、ひいては将来世代への義務の根拠が知りたいんだ」
ディベーター「いやでも…」(4位)
という堂々巡りの構造になってしまいます。簡単に防げそうですが、驚くほどにディベーターは「現状で〇〇をやってるじゃないですか」という現状の一例を挙げて満足してしまっているのです。そのような現象がなぜ起きているのかは説明ができますが、ここでの本質ではないために割愛します。
それよりも重要なことは、「まだ生まれていない将来世代」や「義務」といった概念の意味合いをできるだけ明確化してください。明確化とは何かという問いが飛んで来るかもしれません。別の言葉で言い換えてみることです。「まだ生まれていない将来世代」に対して「存在しないもの」「関係を持てないもの」「不確実なもの」などという言い換えの言葉をあててみましょう。「義務」に対しては「強制」「犠牲があったとしても道徳的に正当化されるもの」「破ったものになんらかの処罰が加えられることが許容されるもの」などの言い換えの言葉をあててみましょう。
「存在しないものに対して強制を加えられることは正当でしょうか?」とPMからイントロで言えれば、あなたはもう「それっぽい」のです。
3.モーション解説
この節では大会後アンケートに多く寄せられた、モーション解説についてお話します。
“THBT people of the present generation do not have any duties with regards to unborn people of future generations.”
どんな議題でもそうですが、まずは議題の意味を理解しましょう。
いわゆるClash(対立)を様々な形で確認(現行世代VS将来世代など)したり、議題の言葉遣い(Any Dutyと書いてあるのでAnyの意味について)ことは非常に大事です。それと同時に、もう二つ、重要な点を明確にしなければなりません。Unborn Future Generation とはどのように理解したら良いのかと、Dutyとは何かです。(重要だからさっき書いてました)
もうそろそろ長くなってきましたし、モーション解説は無限に書けそうなのであえてシンプルに書かせてください。
両者ともに、必ずDutyの意味合いとUnborn Future Generationの持っている特徴についてをよく考える必要があります。
Dutyは義務であり、「何か良いもの」や「やることが賞賛を受けるべきもの」ではなく「やらなければならない」強制です。
Future Generationへの配慮の取り組みとしては環境などが挙げられそうですね。
取り組みの内容を吟味することと、ここでいうFuture GenerationはUnbornであり、生まれていないことに注意が必要です。つまり、まだ存在していないのです。存在していないものに対して強制されるべきなのか?考えてみてください。
(もっと詳しく聞きたい方がいらっしゃれば是非次に私が行く大会で遠慮なく声をかけてくださいね!)
4.モーション集へのリンク
大会終了後にPhilosophy Open 2018のFacebookページに掲載しましたが、再掲します。
5.おわりに
様々な方の協力がなければこの大会を成功させることはできませんでした。まずAdj.Coreの卓人さんとマックスにはこれ以上ない感謝を送ります。お二方との仕事を通じて一人の人間としてお二人への尊敬の念を強めるばかりでした。本当にありがとうございました。
コミの皆様にも本当に感謝です。
りょーたろー、まつゆーくん、教授、彩音さん、桃子、こもさん、ピーター、急なお声がけにも関わらず素晴らしい運営をありがとうございました。
シャドーで参加予定だった内山、浅井さん、根岸、当日はチームの参加状況の関係でお越しいただいたのにも関わらずシャドーの機会がなく申し訳ございませんでした。
この大会が何らかの形で皆様のディベートへのコミットメントの動機になったことを期待して、寄稿文を終わります。また会いましょう。
服装の揃え方がめっちゃ可愛いですね!運営本当にお疲れ様でした!
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